★願ってもない大きな経験

第26回全国市町村交流レガッタ由利本荘大会の「歓迎レセプション」に演奏依頼をいただいた当保存会。

結成から27年だが、このように大きなイベントへの出演は初めてである。

会場は文化交流館「カダーレ」。

「全国大会」というタイトルがついているだけでも、尻込みしそうだ。

スタッフの方々の指示に従ったのだが、演奏までの時間にあまり余裕はなかった。

今回は当ブログの管理人が、VTR撮影などで同行してくれて、心強い味方を得た。

 

今回初ステージのメンバーが1名。

わずかな練習期間にもかかわらず、出場の決意をした「勇気と度胸」には拍手を贈りたい。

1年前ほど前から本メンバーと練習を共にしている、男子奏者が1名。

現役女子高校生が1名。

このメンバー以外は、それこそベテランプレヤーの面々だ。

 

この「カダーレ」という会場、太鼓演奏は今回で3回目。他に獅子舞番楽で1回。4回目のステージではあるが、迷路のような作りは超方向音痴の文責にとって「苦手」以外の感想は思い浮かばない。

誰かについて行かないと(トイレさえも)迷子になってしまう。

駐車スペースは、こういうイベント会場にもかかわらず、スタッフや出演者の分がやっとで、観客のみなさんが利用できるとしたら、ほんの数台程度である。今回は会場の話ではないので、この位で止めるが・・・・・。

①ちっちゃな集落で結成されているメンバーなので、親子や夫婦なども珍しくはない。ありったけ照れながらの撮影。

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②初出場の母だが、演奏者としては先輩の娘。この娘と孫の晴れ舞台に応援に駆けつけた「お母さん」。そうですよね。お気持ちお察しいたします。

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③観客の数など想像もつかなかったが、何と1,000人以上とか・・・・。立食パーティー式の会場だったが、ステージからでも後ろのテーブルは確認出来なかった。乾杯後の演奏なので、少しざわついていたが、静寂よりは余程心地良い。ともかく、演奏スタート。演奏前の、どことなく緊張感漂う「紋章」。

Img_0530④演奏スタート。心地良い反響効果があり、思った以上の迫力でお客さんには伝わっていると感じた。

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Img_0536⑤1曲目は「東(あゆ)の風」。かみ合わないと、とんでもない方向へ行ってしまう難しい曲。引っかかる場面は何度も練習して来たが・・・・・・・・・・・・・。

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Img_0546⑥やはり「引っかかって」しまった。しかし、挽回箇所は準備してあり、後半盛り上がり部分だ。全員声を出しながらの演奏で、誰が見ても「曲のラスト」を感じる。「終わり良ければ、全て良し!」。2曲目には、メンバー得意の曲が控えており、充分巻き返しは可能。気持ちを切り替えて、1曲目を終了。2曲目スタート。

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⑦さすがに自信を持っている曲だけの事はある。1曲目のミスをカバーしようと若干「力み」が見えたが、曲の要所では拍手をもらった。

初出場の彼女曰く、「曲のスピードが速すぎて・・・、ついて行くのが精一杯だった・・」。そうなんです。練習と本番では、緊張の度合いがまるで違うので、どうしてもテンポは走りがちになってしまう。何度もステージの経験を積むと、こういう状況も難なく乗り切れるようになって来るのだ。

演奏終了時にいただいた声援と拍手は、私達に唯一「達成感」を与えてくれる。

こんなに大勢の観客の前で演奏したのは、初めての事。

機会を与えていただいた関係者のみなさんに、心より感謝申し上げます。

また、今後を大いに期待される新人さん達にとっても、願ってもないチャンスを与えていただいた。

この経験が必ずや、今後の演奏活動のみならず、生きて行く糈となってくれると期待している。

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■第26回全国市町村交流レガッタ由利本荘大会

日本列島を縦断した台風18号。

各地に深い傷跡を残した。

こうした自然の大きな力には、手も足も出ない。

災害に遭われた方々には、心よりお見舞申し上げます。

 

第26回全国市町村交流レガッタ由利本荘大会が、来る9月23日(土)~24日(日)に行われる。秋田県からも14グループが出場するようだ。

会場は「子吉川ボート場」。

初日の23日には、公式練習・競漕会予選、夕方には文化交流館「カダーレ」において、「開会式」・「歓迎レセプション」が行われる。

何と恐れ多くも、この全国レベルの大会歓迎レセプションに我々「前ノ沢太鼓保存会」が演奏させていただく事になった。

この為の練習を重ねているが、大会の大きさに飲み込まれそうになる。

それはともかく、悔いなく自分達の演奏が出来るよう、精一杯務めたい。

 

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▲祭の裏作業-②

9月10日。

祭り当日、神事が始まるのは午後1時30分。

昨夜の宵宮のアルコールが少々残るが、朝8時集合。

春の祭りで建てた単缶パイプの骨組みだけが残る「舞台」にコンパネ板を敷いたり、飾り付け作業から始まる。

①コンパネ板は特製で、大人数十人が上がっても全く問題ない強度があり、それゆえ、大の大人が持ち上げるにも音を上げる位重い。

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②当日の空模様が妖しく、午前中には「雨」が降って来るとの天気予報をキャッチ。早速雨対策に乗り出す。舞台の屋根にブルーシートを張る。

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*紅白の幕で舞台を彩り、これで舞台は完成。

一体舞台で何をやるのでしょう?

春は婦人会の踊りが中心だが、秋は番楽が主体となる。

しかし、踊りや番楽を担当する婦人会・番楽講中が準備の為席を離れると、もう数人しか残らない。

以前も同じ事を書いたが、「観る者」がいなくなるのである。

確かに神様に奉納する「踊り」であり、「番楽」ではあっても、観る人が多ければ自ずとテンションも上がり、盛り上がる。

これは大きな問題として捕まえ、進行プログラムや、祭り運営での工夫をしないと、今後に繋がらなくなってしまう気がする。

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▲祭の裏作業-①

毎年恒例の「諏訪神社祭典」(作祭りとも言う)が9月10日に行われた。

これまで当ブログは何度も紹介している為、「祭り」そのものの掲載は省略し、その裏方にスポットを当ててみる。

①神社境内と町内会館周辺の草刈り及び掃除は、祭り前日の朝5時30分からスタート。

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②祭り「旗」の準備と設置。春は「直根神社」の旗が掲げられるが、秋は「諏訪神社」の旗が4竿立てられる。

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*こうして草刈り・掃除・旗立てが無事終了したが、旗竿の重さはかなりのもの。

みんなで力を合わせないとバランスを崩してしまう。

準備が整い、祭り前夜の「宵宮」を待つ。

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●大いなる秋田

「大いなる秋田」とは、1968年(昭和43年)に作曲された合唱と吹奏楽のための楽曲で、4部楽章からなる大作である。文責が小学校4年の頃。

ところで、現在の秋田県が全国でワーストとなっているのは、

①出生率 ②死亡率 ③出生数から死亡数を引いた自然増減率 ④婚姻率 ⑤死因別死亡率のがん ⑥脳血管疾患 ⑦自殺率 とどう考えても人口増には結びつかない項目がズラッと並んでいる。

では、逆にトップの項目は?と探すのが気が重くなりそうだが、

①スギ人口林面積 ②公立小学校・中学校の国語学力 ③刑法犯認知件数 ④一戸建て率⑤17歳までの男子身長(172cm) ⑥重要無形民族文化財の件数(17件)⑦カメラ用レンズの出荷額 など探せば結構見つかるものだ。とりあえず、ワーストと同じ7項目を挙げた。

子供達の学力が上位に達してしるのは、近年統計情報などで、全国的にも知られて来ている。さらには男子も女子も身長が高いらしい。

また、文責も関わっている「重要無形民族文化財件数」も全国トップだが、こうして人口減少もトップレベルの我が県にあっては、継承が困難になっているのもうなずける。

「大いなる秋田」との関連が今一つわからなくなってしまったが、

この大作を初めて聞いたのが、作曲されてから6年後、高校の音楽授業だった。

吹奏楽部だった文責にとっては興味深かったが、合唱の歌詞、メロディーラインがその後もずっと頭の片隅に残っていた。

特に、全国的にも有名な大曲花火大会のフィナーレを飾る「大スターマイン30連発」で流れるBGM「いざないの街」は、一夜にして80万人が聴衆するという曲である。

この歌詞に秋田県民歌の1番と2番が挿入されている。

作曲と歌唱は、由利本荘市、旧大内町出身のシンガーソングライター「津雲 優」さんだが、残念ながら60歳という若さでこの世を去った。

近年BSでLIVE放映される為、もっぱらTVで鑑賞している文責である。

この曲で使われた秋田県民歌に、昔聞いた「大いなる秋田」が突然蘇り、NET上で検索した。

第一楽章「黎明(れいめい)」、第二楽章「追憶」、第三楽章「躍進」、第四楽章「大いなる秋田」。

この秋田県民歌は第三楽章「躍進」で1番・2番が歌われている。

1930年(昭和5年)に制定された。

実に今から87年前である。

さすがに歌詞を見ると、現在では使われない?、または意味がよくわからない?単語が多い。

一、
秀麗無比なる 鳥海山よ
狂瀾吼え立つ 男鹿半島よ
神秘の十和田は 田沢と共に
世界に名を得し 誇の湖水
山水皆これ 詩の国秋田

二、
廻らす山山 霊気をこめて
斧の音響かぬ 千古の美林
地下なる鉱脈 無限の宝庫
見渡す広野は 渺茫(びょうぼう)霞み
黄金と実りて 豊けき秋田

歌詞は四番まであるが、以下は省略させてもらう。

さて、秋田県にはもう一曲「県民の歌」というのがあり、こちらは1959年(昭和34年)に制定された。文責1歳である。

第四楽章「大いなる秋田」に挿入されている。

一、

朝あけ雲の 色はえて
仰ぐ はるかな 山々よ
つらなる町も 緑の村も
平和の光り みちている
ああ あこがれの わが秋田
みんなで みんなで 歌おうよ

二、

流れは大地 うるおして
実る稲穂よ すぎの香よ
資源はゆたか わきでる油田
希望の力 たくましく
ああ 産業の わが秋田
みんなで みんなで 伸ばそうよ

3番まであるが、省略。

この歌詞ならば、意味不明な箇所は見あたらない。

文責が小学校の頃、県民の歌は音楽の授業で歌ったので覚えはあるが、県民歌は記憶にない。

また、不思議なのが、授業として取り扱っていない世代がある事もわかった。

我々世代より数歳年下の方々には、全く聞き覚えさえないようだ。

とりとめのない話題になってしまったが、「大いなる秋田」。

中々聞く機会もないかも知れないが、タイトルが「大いなる秋田」、まさにそう願って作られたのは確かと思う。

先に紹介した「いざないの街」は、秋田県人ならば必ず心に響く楽曲ではないだろうか?。

こうした名曲が秋田にもあるという事を是非、心にとどめて貰えたらと思う。

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■4ヶ月の熱かった夏・・・

秋田県横手市出身のシンガーソングライター「高橋優」さんが由利本荘市花立で、野外コンサートを行った。

残念ながら、会場に足を運ぶ事は出来なかった。

次のチャンスには、必ず行ってみたい。

 

高橋優さんの野外コンサート初日の2日、秋田県消防操法大会が行われ、消防団OBの文責も応援に出向いた。

この大会に初出場の当分団なので、大会そのものが初体験である。

少々肌寒い天気ではあったが、後半には太陽が照りつけ、戦いにふざわしい熱い天候に変わった。

開会式や大会進行における音響は、その辺の町内夏祭りよりもレベルが低く、音楽がかからなかったり、音声が途切れたりと、到底県大会レベルのものとは思えなかった。しかも、「規律」を重んじる競技大会などでは、絶対あってはならないと私は思う。

それはともかく・・・・。

周りはこの大会の常連チームがほとんどで、初出場の当団員へのしかかったプレッシャーは、おそらく想像を超えるものだったに違いない。

秋田県を9ブロックに分け、そこを勝ち抜いたチームが対戦する。

「膝が震えて止まらなかった・・・・」初めて彼らの口から発した言葉。

順位はともかく、4ヶ月の長期に渡った彼らの長く熱い夏は、ようやく最終日を迎えた。

この大会特有の「女性消防隊」の操法も初めて見学させてもらった。

漁師などの職業で、男性が家を空ける期間が多かったりする地域には、この女性消防隊がおり、有事の際には男性に変わって消化作業にあたる。                   

 

「お疲れ様」の一言では片付けられない気もするが、過ぎた夏をもう一度振り返り、次への一歩として欲しい。

この大会まで連れて来てくれた彼らに感謝したい。

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◆秋田県消防操法大会

今日は9月1日。

今年も残す所、あと4ヶ月。

 

明日9月2日(土)には、秋田県消防操法大会が行われる。

これまで、当町内のお祭りや行事、太鼓の演奏活動などをお伝えして来たが、これほどまでに「消防」に関した行事を書いた事はなかった。文責も元消防団員だったせいもあるが、今年の活躍はやはり、過去の歴史を塗り替えためざましいものだった。

地区予選の町の大会を制し、由利本荘市を制し、にかほ市との対戦を勝ち上がり、初の「県大会出場権」を手に入れた。

にかほ・由利本荘には55の分団があり、「小型ポンプ操法」にあっては、分団から分かれる「部」を含めると、さらに多くの数になる。分団員は約2,200名である。

高校野球の「甲子園出場」以上の狭き門だ。

県大会は9ブロック(消防協会支部)に分かれ、それぞれが支部代表としての面子をかけて戦う。

ここで優勝すると、秋田県消防分団約500、団員数17,200人のトップに立つ事になる。

怪我なく、今年最後を締めくくる大会を笑顔で終えてくれる事に期待したい。                              

 

当ブログ記念すべき300回を終わります。

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●一人言

お盆を越えると、一気に「秋」らしくなる。

朝夕は「涼しさ」を通り越して「寒さ」に変わり、

夏の名残で窓を開けていようものなら、一気に風邪を引いてしまう程だ。

今年は夏らしい陽気はほんの数日だったような気がする。                       

 

8月14日の「前ノ沢盆踊り」・15日の「フォレスタ鳥海前ノ沢太鼓公演」・16日の「鳥海獅子まつり}と毎年恒例の行事を乗り越え、やっと一息ついた今日この頃である。

この後、9月には早々と消防の「県大会」、諏訪神社祭典と続き、後半には太鼓演奏の依頼を控える。

最近は悲しくなって来る位、同じ事しか言えないが、よくこんな小さな集落でこれだけの行事を消化していると・・・、たまには自分達を誉めないと、心が折れそうになる。

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★古からのメッセージ

ここ数日30℃越えの夏らしい天気となっており、生育が遅れ気味だった稲達もやっと、穂を出し始め小さな花をちらちら咲かせて来た。

台風5号の進路が気になるが、被害の拡大だけは避けて欲しいと願う。

秋田の8月は、各地で大きなお祭りや行事が続く。

全国的にも有名な竿灯、七夕絵灯籠、西馬内盆踊りなど、それぞれ由緒ある古からの行事だ。                                                    

 

ここ鳥海にも、約400年前から伝わる「本海獅子舞番楽」がある。

資料などでは、13団体が継承していると記されているが、実際活動しているのは半分以下の6団体ほどである。

鳥海町は、「川内」「直根」「笹子」と大きく3地区に分かれており、番楽は修験者本会坊により、直根地区の鳥海山に近い百宅から、山を下る下方向へと伝承され、最終的には矢島町の荒沢で没したとされている。

この3地区での舞や拍子は、個人的な見解で申し訳ないが、微妙というより大きな違いがあるように思う(実際に見聞きしないと言葉での表現は非常に厳しい)。

直根地区は、百宅・上直根・中直根・前ノ沢・下直根・猿倉とさらに小集落に分かれ、伝わっている「舞」にも、それぞれの特徴が見られる。拍子は微妙に違うが、ほぼ似ており、「直根地区」の色が感じられる。

毎年「鳥海獅子まつり」と称し、活動出来る団体が集まり、それぞれの舞を2演目ほど披露する。今年で44回を数える歴史ある行事だが、13団体すべてが揃う事は今後も有り得ない。

しかしながら、興味のある方々には、この3地区の違いを含め、様々な舞を存分に楽しんでいただきたいと思う。

さらには、各舞に秘められた古からのメッセージや、所作が何を表現しようとしているか?など、マニアックな目で見ていただける人が一人でもいたら、とても嬉しく感じる。

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♪「足りないものを探して」

8月に入ると、お盆までアッと言う間であるが、秋田では全国的に有名な「竿灯祭り」が始まる。現在まで「生」の夜竿灯には接した事がない。自慢にもならないが、大曲の花火大会もそうである。後の楽しみとして残しておいてもいいが、それこそ体力と健康が残っていなければ、生涯鑑賞など出来ない。

やはり県内行事だから、いつでも行けるという安易な甘えがあるのだと思う・・・・・イヤそうではなく、「見てみたい」という意志の強さが、足を運ぶ原動力となる。結局その意志が弱いからに他ならない。そう。実は人混みがとても苦手である。しかし、秋田に生まれ育ったのも何かの縁。一度は見ないと・・・・。

7月29日、日本海に響け太鼓の祭典に参加して来た。

この29日は由利本荘区では、本荘の花火大会、矢島ではサイクルロードレース前夜祭など、大きなイベントが集中していた。

先のブログにも触れたが、我が町内の消防分団が県大会出場を懸けての対戦があり、

同じ町内として応援に出向いた。

太鼓の祭典集合時間まで、余裕のある設定ではなかったが、じっくり拝見する事が出来た。

町内では冗談を言い合いながら酒を酌み交わしている彼らとは当然であるが、別人のような凛々しさで、誇らしく思えた。

 

さて、この「日本海に響け!太鼓の祭典」は、私達保存会にとって、非常に思い出深い。平成6年に結成したが、お客さんの前で初めて演奏したのが、このイベントだった。

当時は他の団体さんは、チームの袢纏を着用していたが、我々には祭り用袢纏しかなく、何とも見窄らしい出で立ちだった。まだ人前で披露できるほどのレベルにはなかったが、「勉強」を兼ねて参加させてもらった。

オリジナル曲などなく、講習会の練習曲だった。今にして思うと恥ずかしい位ではあったが、名誉もプライドもなく、もちろん失うものもなかった。ただただ、力の限り太鼓を打つだけの初ステージ。

このイベントに参加させてもらう時、いつもこの「初心」を思い出す。

あれから25年経ち、衣装も揃えオリジナル曲も作った。人並みのレベルまでは何とか、達したと思っているが、明らかに減退しているのは、体力だ。

近年、他団体の曲調も大きく変わって来ている。ハイビートと、個人技(ソロ)が目立つ。音楽に例えれば私達の曲は懐メロで、耳障りではないが、感動もない。やはり何か変化と、観客の目を引くものを取り入れないと、「なつかしの歌謡曲」状態になって来ていると感じた。

確かに若いメンバーがいると、それだけで華やかに見える。しかし、若さやテクニックだけで全てが解消されるものでもない気がする。

しばらくこの件はじっくり考え、前進できる方法を探って行きたいと感じた、「日本海に響け!太鼓の祭典」だった。

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