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♯「管理人のミュージックトラベル」中・高校生編

当HP管理人の、和太鼓を含めた「音楽性」についてご紹介しています。

前回の「幼少期」からの続編です。

■中学生

①このあたりの年頃になって来ると、記憶もしっかりして来ます。「吹奏楽部」があれば入部したと思うのですが、残念ながらありませんでした。陸上とスキーをやっていました。短距離・駅伝など、大会にも出ました。冬は裏山のスキー場で練習したものです。中学生になると、少し夜更かしも出来、ラジカセで好きな曲を録りまくりました。歌謡曲、洋楽、何でも有りでしたね。同年代の子達が芸能界で活躍します。アイドル時代の幕開けです。

②先に衝撃を受けた「ビートルズ」の曲をあらゆる方法で集めて聞きました。FMラジオは雑音も少なく、当時は最高のダウンロード方法?でした。その後「カーペンターズ」と出会います。クリアで美しい兄妹のハーモニーは、ビートルズに勝るとも劣らない衝撃を受けました。そして、ヴォーカルのカレンは、ドラム奏者でもあり、スケルトンドラムを演奏する姿は、憧れ以外の何者でもありませんでした。

③どちらかというと、洋楽に引かれていた時代でした。いっぱいありすぎて逆に浮かんで来ない程です。しかしながら、アイドルにも興味を持ち始める年頃なので、みんなかわいかったですね。南沙織・天地真理・小柳ルミ子・麻丘めぐみ・森昌子・桜田淳子・山口百恵などなど・・・・。

④洋楽・歌謡曲に夢中になっていた所へ、フォークの吉田拓郎が登場して来ます。今までと違った音楽性に興味津々でした。中学では「ドラム」を叩く夢が叶わないので、ギターが欲しくなりました。当時、学校にクラシックギターが数本あり、ここで初めてギターにさわります。しかし、誰が教えてくれる訳でもなく、月刊誌付録の歌詞カードでコードを覚える程度しか出来ませんでしたが、実際の楽器が有ると無しでは、大違いです。当時は十分満足でした。中学三年の文化祭みたいな催し場で、ギターで何か歌った記憶がありますが、良く覚えていません。

⑤ラジカセも恐らく一般の皆さんの使用量からすると、自分の場合倍以上も使っていたかも知れません。ついに故障し、ラジオしか聞けなくなってしまいました。ここまで来ると、次は待望の「ステレオ」しかありません。高価だろうという事だけは理解できたので、簡単に「買ってくれ」とは言えませんでした。しかし、どうしても欲しくて願いに願い、やっと買ってもらえる事になりました。これが、またしても父の出稼ぎ帰りでした。それまで待ち遠しいなどと思った事のない、父の帰りでしたがその時だけはそう思いました。

父が帰り、次の日一緒に店に行く事になったのですが、前日は嬉しくて寝られなかったですね。隣りの矢島までバスで行き、現在も営業している「S店」です。当時走りの4チャンネルステレオを買って貰いました。今でも覚えています。1万円まけてもらって、「11万5千円」でした。

買って貰ったはいいのですが、車にガソリンを入れないと走らないのと一緒で、レコードがないと聞けない・・・・。

当時はレコードも我々小遣いでは、中々買えませんでした。シングル500円、LPは2500円と現在より高いかも知れません。それでも友達から借りたり、色々聞かせてもらいました。今でもそのステレオは残っています。多分ですが、動くと思います。今後時間的な余裕が出てきたら、動かしてみようと思います。よみがえってくれると嬉しいのですが・・・。

■高校

①とりあえず順調に高校へ入学し、何と言っても小学4年から封印していた「ドラム」への憧れです。これでやっと叶うと思いました。何を迷う事もなく、「吹奏楽部」へ入部しました。しかし、配属されたパートは「トランペット」で、希望するものではありませんでした。怖いというより、口さえきけなかった上級生に伝える事が出来ず、2ヶ月が経過しました。ここで長年の夢をあきらめる訳には行かず、打楽器をやりたい旨を先輩に話しました。次の日部長に呼ばれ、「なんでもっと早く言わなかった?、この2ヶ月がもったいない」と怒られてしまいました。イヤ~!!おっかねえごど・・・。でも、打楽器(パーカッション)パートへ連れて行ってくれ、「パーカッションやりでんだど、めんどみでやってくれ」と優しく紹介してくれました。

②こうして念願のパート、そして「ドラム」への道が切り開かれました(大げさ・・)。そうは言っても、同期に入部したみなさんは、ほとんどが中学で経験している方々・・。私は初心者です。半年以上も実際の楽器に触れる事は許されませんでした。その間、毎日鉄のスティックで「机」を叩いていました。基本打法の反復練習です。譜面も読めませんでしたので、いい勉強になりました。同期入部の経験者達は、先輩に加わり実際の楽器で練習していました。別にそれでも楽しかったです。

③部室には青色のドラムセットがおいてありましたが、誰も叩く様子はありませんでした。一体、誰がいつ叩くのだろう?と思っていつも気になっていました。それは、野球の応援で使う為にあったようです。しかも個人の所有で、3年の先輩のものでした。それじゃ、私ごときが触ろうものなら張り倒されると思い、一切さわりませんでした。

④夏の甲子園予選の野球大会を控え、応援曲の練習が始まりました。もちろん、私には関わりのない事と思っていたのですが、暑さの中での応援になる為、パーカッション担当全員が「ドラム」を覚え、交替でたたくという事でした。ついに来た!と思いましたね。簡単な8ビートや16ビートを教えてくれました。他メンバーが少々つまづく中、思った以上にすんなりと出来ました。見よう見まねで少しは手足を動かしていたからだと思います。そんな様子を部長さんが見ていて、「応援曲はこいつに叩かせるから、もっと教えてくれ」と先輩に言っていました。嬉しかったですね。その年、我が校野球部は県大会ベスト4まで勝ち進み、私のドラム演奏時間を長くしてくれました。

⑤吹奏学部が演奏する曲は、主に「クラシック」・「軽音楽」・「ビッグバンド・ジャズ」・「映画音楽」などです。この間は、こうした曲を聞く事に没頭しました。ですので、歌謡曲も洋楽もこの頃はメジャーな曲しか覚えていません。夏休みは合宿練習もありました。一日中練習するのですが、辛いとか全く思いませんでしたね。さらに吹奏楽部は男女一緒の部なので、食事は上級生の女子が作ってくれました。お姉さん達の私服姿も魅力的で、ごはんもおいしかったです。

こうして吹奏楽ミュージックに夢中になっていましたが、友達から借りたレコードで「ハードロック」と出会います。「ディープ・パープル」・「レッド・ツェッペリン」・「クイーン」・「クリーム」・「シカゴ」・「サンタナ」・「ピンク・フロイド」etc・・・・。何が凄いと、一言ではいえません。中でも、「ディープ・パープル」のドラマー、イアン・ペイスの演奏スタイルには多大な影響を受けました。40年以上も前ですが、現在でも高度とされるテクニックが完成されていました。まさに「神技」ですね。

⑥現在所属する「HOTLINE」リーダーの茅野とは幼なじみで、この時一緒に吹奏学部に入部し、互いに初心者ではありましたが、バンド結成の礎をここで築きました。

こうして、音楽三昧の3年間を過ごします。

以上が「中・高校編」でした。「青年期」へつづきます。

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