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♯「管理人のミュージックトラベル」幼少期編

今回は、迷惑を承知の上、自分の和太鼓を含む「音楽性」について書いてみます。

別に全世界へ発信する内容でもありませんので、お付き合いいただける方だけ、ご覧下さい。

BSジャパンで放映されている「ミュージックトラベル」という番組をご存知でしょうか?

現在活躍中のミュージシャンが、幼少の頃からどんな音楽に親しみ、影響されて今の自分が形成されたか?を1時間の中で、本人が10曲選び解説を含め、紹介するという内容です。

当HPの管理人は、この「鳥海前ノ沢太鼓保存会」の他に、アマチュアバンド「HOT LINE」と、「前ノ沢番楽講中」に所属する者です。

                                                      

恐れながら、簡単な自己紹介を・・・。

①生年 1958年(昭和33年)

②生まれた時の家族構成 祖祖母、祖父母、両親、姉 の7人家族

③音楽の好きそうな家族 祖母、父を除く全員。祖父は番楽の太鼓を担当

こんな感じで生まれました。

                                                      

■幼児期(唄編)

①記憶にはありませんが、母が唄ってくれる童謡などの覚えは良かったようで、人前でも大きな声で歌うので、母が恥ずかしい思いをしたそうです。この頃は少々身体が弱く、唄でも唄って元気づけていたのかも知れません。

②正月、母の実家へ行くと祖父母が、孫達を集めて「のど自慢大会」をやるのが恒例でした。何を歌ったか覚えていないのですが、審査委員長の祖父は、1位に私を選びました。歌える孫は、その頃3人でしたが・・・。ちゃんと賞金もあり、1位は100円でした。

③太鼓との出会いは、3歳位の時だったと思います。祖父母がおもちゃの太鼓を私に買って来てくれました。おもちゃと言っても、本物の太鼓を小さくしたもので、今思えば立派なものでした。それを片時も離さず、たたいていた記憶があります。何を真似するでもなく、自己流でした。

④当時の流行音楽は、「歌謡曲」で歌詞の意味など知るよしもなく、橋幸夫などを思いっきり唄っていました。愛や恋などの歌詞が出て来るので、他人が来た時は「歌うな!!」と怒られたりもしました。

■小児期(ドラムとの出会い)

①小学校の頃も、もっぱら「歌謡曲」を唄っていました。ハーモニカや笛(リコーダー)の授業もあるのですが、あまり興味もありませんでした。しかしながら、演奏は通信簿で評価されます。カンだけでやっていましたが、ノーミスでした。

②当時の一大イベント「運動会」では、走る事よりも「鼓笛隊」に興味があり、高学年でなければメンバーになれないのですが、4年の時にメンバー入りし、嬉しかった思い出があります。

③テレビで見て「ドラムセット」に興味がありましたが、実物を見た事も、実音を聞いた事もありませんでした。学校の体育館で何かの「歌謡ショー」があり、そこで生まれて初めてドラムを見て、音を聞きました。思った以上の迫力に全身が釘付け状態でした。しかも奏者は、自分と同じ位の男の子で、自分にもやれる!っと、異常な程の自信がみなぎったのを、鮮明に覚えています。しかしこの時、ハイハットとバスドラムにもペダルが付いて、両足を使っている事には気づきませんでした。

④一度ドラムという楽器の本物を見てしまい、買ってくれと両親に頼みましたが、あまりに騒がしいので、小屋に連れて行かれ、柱につながれてしまいました。こんな田舎のこの時代、珍しい事ではありませんでした。それから、段ボールや鍋の蓋でドラムセットを自作しましたが、やはりこの時も「足」を使う事を知らなかったので、両手のみのドラムセットでした。

ここまでが、小学校4年位までです。

当時私の印象深い曲は、「星影のワルツ」・「君といつまでも」・「夜明けのスキャット」・「真っ赤な太陽」・「黒ネコのタンゴ」・「人形の家」・「ブルー・シャトー」などです。

■小学校高学年(洋楽との出会い)

①裕福な家には、「ステレオ」があり、大きな音で聞いているものでした。しかし、我が家にそれはなく、何とかテープレコーダーを買ってもらおうと、1年かけて父を説得しました。出稼ぎ帰りに買って来てくれたのですが、オープンリール型しか知らなかった自分の想像とは全く違うコンパクトな物でした。それが、ラジオカセットテープレコーダーでした。当時は高価だったんでしょうね。ありとあらゆる機能を使いこなしました。楽しかったです。

②所詮ラジカセです。大きな「ステレオ」には音的にかなうはずもなく、この頃、ステレオを持っている友達の家によく遊びに行きました。大抵この場合、年頃の中学生や高校のお兄さんがいました。その中の一人、T君宅へ行った際、好きな歌謡曲がたくさん聞けると期待していましたが、レコードのほとんどが洋楽でした。最初に聞いたのが、ビートルズの「レット・イット・ビー」でした。ピアノのイントロ、聞いた事のないせつなそうな歌唱、曲の盛り上がり、音楽の構成など・・・。歌詞の意味などわかりませんでしたが、伝わるものは十分でした。大きな衝撃と、感動。歌謡曲では味わった事のない感覚でした。もう、その日から彼の家に通い詰め、あるレコードをすべて聴かせてもらいました。歌謡曲なんて、くだらない音楽!それほどまでに思いました。ガキのくせに、かなり大人になったような感覚がありました。

③洋楽はもっと聞きたかったのですが、これ以上の手段がつかめず(実際はラジオ番組を調べればあったと思う)、また歌謡曲へ逆戻りでした。

当時私の印象深い曲は、「グッド・ナイト・ベイビー」・「天使の誘惑」・「長崎は今日も雨だった」・「風」・「想い出の渚」・「世界は二人のために」・「恋のフーガ」などです。

その頃に聴いた洋楽は、「すてきな16才」・「涙のバースデイ・パーティ」・「ミスター・ロンリー」・「夢見るシャンソン人形」・「この胸のときめきを」・「悲しき雨音」・「恋の片道切符」など、挙げればキリがありません。そして、ベンチャーズももちろん聞きました。

最初に聴いたビートルズの「レット・イット・ビー」は、ビートルズ最後のシングル曲でした。それ以前の曲を、この後中学生になると聞く事になるのですが、感動の連続でした。

という事で、「幼少期」を終了します。誰も期待しないと思いますが、次回もあります。

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